• 茨城県常総市にある、業務用生中華麺の製造を得意とする老舗製麺所。

・業務用生中華麺(生ラーメン)、焼きそば(蒸麺)の製造、販売、卸しをしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■私共の製麺所は明治25年(1892年)に、初代の平塚山三郎(ひらつか・さんざぶろう)が茨城県常総市(旧石下町)で創業しました。当時は手打うどんの製造を中心にしていました。

桶(おけ)職人をしていた、初代は子供の時から、うどんが好きで26歳で身を立てたようです。2本の麺棒を使いうどんを作るのが大変上手でした。また当時の新聞に手延麺棒を持った初代の写真と共に平塚製麺所の記事が掲載されたそうです。その時に使用していた、麺棒や板が今でも残っています。

作ったうどんをご近所の皆さんの振舞っていたところ評判となり、噂を聞きつけた人が祝い事の時に、うどんを作ってくれないかという話がありました。快く引き受けた初代は道具一式を荷車にのせ出張し、その場で手打うどんを作り、皆様に振舞って喜んでいただいたそうです。昔は「うどん」というのは大変なご馳走で、非常にめでたい食べ物とされており、祝い事では必ず食べられていたそうです。出張したその場で手打うどんを作り、皆様に振舞って喜んでいただいたという、初代の仕事が現在まで続く平塚製麺所の歴史の始まりでした。

その後、手打うどんを竹棒に下げ乾燥させ、高級乾麺(島田うどん)として各小売店に卸し販売をしておりました。運搬は天秤棒で竹籠にのせてお得意先に卸していたようです。

■二代目の頃、大正初期に手回しの製麺機ができたので、機械製麺に切り替え麺作りを始めました。大正13年に電気が入り、動力製麺機に切り替えられた事で近代化を遂げる。昭和17年(1942年)頃、新たな製麺機械を導入し、乾麺の製造を効率化しました。

現在は製造していないのですが、2010年ごろまで長きに渡り「ヤマサン印」(初代の愛称が山さんだったことから)の高級乾麺として製造を行っておりました。種類は「丸うどん、角うどん、ひやむぎ、そうめん、干しそば」がありました。推奨状はその時にいただいたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■三代目の祖父の時代に石下町長さんに認定証をいただきました。この推奨状、認定証は以前あったお店に飾っていたものです。

三代目の祖父は無線の技術者でもありましたので、戦時中は陸軍にて通信士、水戸憲兵隊、土浦憲兵隊として働いていました。終戦後、祖父が製麺業を継いだ時は戦争による食料事情が悪く、うどんは主食とも言われる程、需要が多く、飢えをしのぐ時代でした。当時は毎日忙しく、昭和28年に棒ハンドルのオート三輪(三輪自動車・当時は貴重で石下町で3番目)を購入して配達をしていたようです。乾麺は当時が最盛期であったようです。

また石下町無形文化財指定の「石下天神ばやし保存会」にて長年、太鼓をたたいており、石下のお祭りでは山車の上で太鼓をたたいていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■時代の変化と共にお客様のニーズが変わり、現在の主力商品である生中華麺、焼きそばは四代目の父が乾麺に加えて、新たに始め40年以上製造しています。よろしくお願いします。