• 茨城県常総市で業務用生中華麺(生ラーメン)を製造している平塚製麺所

石下中央公民館(いしげちゅうおうこうみんかん)は、

県道357号線に面した、石下中央商店街にあります。

実は平塚製麺所のすぐ近く(南東側)にあるんです。

子供のころは、公民館の駐車場で遊んだり、公民館で映画の上映がおこなわれ、

友達や兄弟と「ガンバの冒険」や「ゴーストバスターズ」をみたりしました。

そのほかにも、中央商店街のお祭りが行われたり、

健康診断や選挙など、いろいろと利用されている、地元の公民館。

常総市を代表する、歌人、小説家の長塚節(ながつか・たかし)さんの像。

ものごころがついた時には、すでにあった銅像。

ちなみに、地域交流センター(豊田城)の前にある長塚節の銅像は、

石下中央公民館の銅像を型に取って制作されたと、小学生のころに聞かされました。

型を取るため、いつもある銅像が無くなっていて、

なぜか少しさびしい気持ちになったことを覚えています。

その後、また戻ってきました。

長塚節の生涯について、詳細にかかれています。

写真の「長塚節の生涯」の内容については、ブログの下のほうに、

そのままに書いておきますので、

ご興味のあるかたは、ぜひ読んでみてください。

わたしが子供のころは、公民館の事務所の2階で、

本の貸し出しをしていて、本をたまに借りて読んでいました。

今は本の貸し出しはしていないみたいです。

第2駐車場もあります。

平塚製麺所の目の前にある、第2駐車場。

 

長塚節の生涯

長塚節は、岡田郡国生村(常総市国生)で明治十二年(1879年)四月三日に

父源次郎、母たかの長男として生まれました。

三歳で「カナ」を読み、『百人一首』の歌十首を暗唱したといわれ、

幼い頃から記憶力が抜群であったと言われています。

国生尋常小学校から下妻高等小学校を経て、明治二十六年(1893年)に、

茨城県尋常中学校(茨城県立水戸第一高等学校)に進みますが、

三年生の頃から不眠症の兆候が出て、四年進級後、間もなく中学を中退します。

国生の実家に帰り、家の周りの草花など自然に親しみながら和歌を作ったり、

旅をしたりして健康回復に努めました。

正岡子規の歌論『歌よみに与ふる書』の実作を手本にして写生の歌を作り始め、

懸賞和歌に応募しています。

 

明治三十三年(1900)子規に入門し、

高浜虚子・河東碧梧桐・伊藤左千夫・岡麓・平福百穂・香取秀真・中村不折など、

根岸短歌会の人々と交友が始まり、機関紙「馬酔木」の同人として活躍し、

このころから全国各地に旅をするようになります。

明治四十一年(1908年)には、伊藤左千夫等と「アララギ」を創刊し、

短歌から写生文そして『芋掘り』などの短編小説を「ホトトギス」などに発表しています。

明治四十三年(1910年)六月から朝日新聞に貧しい農民の生活を物語にした

長編小説『土』を百五十一回連載し、夏目漱石に激賞されました。

 

翌年四月には、結城郡山川村山王(結城市)の医師黒田貞三郎の長女てる子と婚約が成立しました。

この頃の節は、竹林の栽培や蕎麦、麦、大豆を作り堆肥の製造など農事に励んでいましたが、

十一月に咽頭結核と診断され、

十二月に下谷区中根岸の根岸養生院に入院して手術を受け、

せっかく整った婚約の解消を申し入れています。

 

四十五年(1912年)三月、夏目漱石を訪ねて当時の咽頭結核治療の権威であった

九州帝国大学の久保猪之吉博士への紹介状をもらい、福岡で診察を受け、その後度々診察に出掛けています。

この頃から『鍼の如く』の作歌を始め、大正三年(1914年)十二月までに二百三十一首も作りました。

同年六月に再び、久保博士の診察を受けに博多に行き入院し治療を受けていましたが、

八月に熊本の人吉、宮崎の小林を経て宮崎市、青島、飫肥(おび)等を廻り、

別府から小倉を経て九月に博多に帰り、久保博士の診察を受けています。

宮崎では、結核患者と思われ、宿替えを要求されています。

 

この後、無理をして旅をしたことが病状を悪化させたのか度々高熱が出始めます。

この頃は、病室が空いていなく入院待機中の状態で、通院して治療を受けていましたが、

翌四年(1915年)二月四日に、大学病院南隔離病棟第六号室に入院します。

「苦しきこと限りなし。然し咳は出ず。便所に立つに足のふらふらに驚く」と

病状を記したのを最後に日記は八日に終わっています。

二月八日午前五時、昏睡状態になり父源次郎、弟順次郎、久保博士、主治医等に看取られ、

午前十時に帰らぬ人となり、

三十七歳の短い生涯を閉じました。

この銅像は、節の写生文『佐渡が島』から帰った時の旅姿をモデルに作成したものです。

常総市・常総市観光物産協会

 

以上となります。

 

■石下中央公民館

茨城県常総市本石下85番地